倉田 勇雄
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清水1965
倉田機械設計代表
平成9年の2月、東京から5人の大学生が車で私の家にやって来た。また、東京の新宿ワシントンホテルで深夜のミーティングが早朝の5時まで続き部屋から関西の八十原さんに電話しながら、私の狭い一つの部屋にベッドを囲みながらみんなで雑魚寝をした。次に再開したときもみんなで雑魚寝した、この時も同ホテルで深夜のミーティングが早朝の5時まで続き、ふらふらしながら廊下を歩いたのを覚えている。
更に、「山田村の行進曲はインターネット」の本が最終校正に入ったころ天野さんが、新橋のホテルに尋ねて来て「山田村のふれあい祭」について遅くまで論議し、みんなが持ちえるエネルギーが最高に燃焼しきる環境について語り続けた記憶がうっすらとあります。また、私の家でむきになって論争を交したころが、懐かしくも思えるしみんなが真剣であった、あの熱意を決して忘れたくないものだ。ふれあいの意義をここまで、宝島として宝物の地図を拡げ長い道のりを歩き、みんなに公平に宝物を分けてくれた。この5人に心から感謝したい。『基礎を築き上げた、5人衆。本当にありがとう』
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