2008年3月17日

エゴを許せないというエゴ

えー、皆さん、この管理人、入試も終わったのでいよいよ復活です。
復活早々、無駄に重い話題で申し訳ありませんが、僕は最近、「エゴを許せないというエゴ」について考えています。
たとえば僕の家族の場合だと、某アメリカの音楽番組が、U2というバンドの述べた意見について傲慢だと述べた事について、
「アイリッシュ(アイルランド人)だからこんな事を言った。例えばニルヴァーナ(ロックバンド)の意見だったらこんな事は言わなかっただろう。これは人種差別だ」
と怒る態度を見て、人種差別をする側の態度とどこか似ているような気がしたのです。
そこで考えたのですが、僕の考えでは、結局のところ人間は誰でも自分の信じる物が一番美しいと考え、それに相反するものがあれば、許せないと憤るという事で共通していると思います。
人種差別を許せないというのも、結局のところ、自分の考えに基づいて、人種差別という考え方を自分の嫌うエゴという物であると判断して、許せないと考えたのであって、反人種差別という考え方それ自体もエゴと呼べるような気がします。
僕自身もその反人種差別主義者であるわけですが、人間という生きる動物である以上、自分の尺度を元にする事でしか生きられないのも仕方ないかとは思うのですが、どこか醜いような気がします。
そこで僕は、どんな考え方でも、なるべく頭ごなしに否定しないようにしようと考えつつも結局「醜い意見だ」と勝手に断罪してしまうことが多いです。
それとも、僕自身が臆病で根性なしなだけでしょうか。きっとそうでしょう。
長々と勝手なことを書き連ねてすいませんが、できるならコメントをお願いします。せめてものお詫びとして、一句詠みます。

 味噌汁で
  節目知らせる
   ふきのとう

コメント(2)

それはそうだ。でもね、やっぱりこの人種差別というやつはそれもひとつの尺度とは考えにくいです。人種差別とは程遠いと思われる放送局で放たれた一言であったから尚更です。でもそれでも色々な事をバネにして飛躍していったU2と言うバンドはやはりすごいです。人種差別されている可哀想な人ではなく跳ね除けて皆から尊敬されるバンドになったのですから。

あれはやっぱゴーマンだったと思います。つーか若くてああいうものの言い方したできなかったのでしょう。
でもMTVの編集がそのように見せていたようにも思えた。

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