ツカンカーメンの新事実?
昨夜見たとある番組に出演していた吉村先生なる人がこんな事を仰っておりました。
その人によれば、ツタンカーメン王の葬式の時期を副葬品の花束から計ったところ5月で、ミイラは70日かけて作られることから、死亡時期は2月ごろとのことです。
その時期は、初物のワインを王が誰よりも先に飲む(毒味もせず)ことになっていたそうです(それは王の役割です)。そのため、謀殺をたくらむ連中にとっては絶好の機会だったそうです。
そして宮廷内には、その謀殺をたくらむ連中が居たということです。
彼の墓は一般に言われているような未盗掘ではありません。副葬品が乱雑に置かれていることから盗掘の形跡があったとのことです。しかし、副葬品は何ら盗られていなかったのです。
柩の蓋の封をする樹脂の鍵が一つ目は破壊されていて、二つ目は無傷なことや、文書類が皆無な事や、さまざまな証拠から盗掘時期が、墓が封印されてからまもなくであった事から、以下の筋書きが成り立つそうです。
宮廷内でツカンカーメン王の謀殺を図る連中が、ワインに毒を混入して、彼の毒殺を図ったが、そのことを知った彼の妻が、その事を神々に告発して、その連中に王にさせないか、もしくはあの世での永遠の命を獲得させないためにその顛末を紙に書き記して柩の蓋の間に隠した。それを察知した謀殺者らは、そうなっては当然困るので、神々にばれないように、彼の墓を、封印されてから間もなくのうちに、くまなく探して文書を発見し、盗み出した。
注)彼のミイラの膝には、骨折してから数日間生きた痕跡があるので、馬車に乗っている最中の転落事故か、とある戦いに出撃(彼は生涯で少なくとも二回以上出撃しています)して、戦闘中に敵の攻撃で負傷して、そこから熱病を併発して死亡した可能性もあるとのことです。
ミスター・ミネラルウォーターからコメントを頂きました。あははのは。
古代に夢をはせる・・・・ロマンやねぇ。
Posted by エレッセ at 2007年1月 5日 01:17 | 返信