糖尿病週間 2016 - 半農半医

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2005年より毎年行ってきたここショッピングモールでの糖尿病啓発活動。毎年土曜日を狙い、今年は11月19日となりました。管理人の勤め先職員だけでなく、今年は大学病院からもスタッフが駆けつけました。そして例年150人程の方が来られるのですが、今年はなんと過去最高の197人でした。感謝感謝。

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今年も11月14日の世界糖尿病デーに因み、富山城のブルーライトアップ点灯式が行われました。ライトアップは今年で10回目。点灯式の方は今年で4回目です。当初富山城前にテントを据えて、寒さに震えながらやっていましたが、昨年からは富山城臨むここANAクラウンホテルで行われるようになりました。

出羽三山神社 - 半農半医

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羽黒山山頂の出羽三山神社、奥羽修験道の本拠地です。出羽三山とは羽黒山、月山、湯殿山のこと、鳥海山は含みません。名前がややこしくて、こことは別に月山神社も湯殿山神社もあるので、本当はここは羽黒山神社と言ってもらえばわかりやすいのですが、月山神社も湯殿山神社も一緒に祀って出羽三山神社を名乗っています。月山神社も湯殿山神社も山の上でとても行きにくいので(現在では湯殿山は車で行ける)、修験者ではない庶民でもここを参れば出羽三山全て参ったことにしてやる、というコンセプトでしょう。

羽黒山は稲倉魂命(ウカノミタマノミコト)、月山は月読命(ツクヨミノミコト)、 湯殿山は大山祇命(オホヤマクヒノミコト)、大国主命(オホクニヌシノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)の三神を祀るとあります。でもこの神社の本当の御神体は写真手前の鏡池です。

お参りしたときにちょうど中でお祓いをしているところでしたが、神主と巫女のユニゾンで祝詞が朗々と響き渡り、しばらくうっとりと聞き惚れてしまいました。こんな祝詞、普通の神道の神社では聞いたことがありません。

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同じ鳥海山大物忌神社の蕨岡口ノ宮です。祭神は大物忌神。社務所はなく、御朱印は吹浦口ノ宮の方で頂きました(というかそのときこちらの宮のことを知りました)。

写真は鳥居と山門です。出羽三山同様山を御神体とした修験道が栄えたので、このように一見神仏混淆のような様式になっています。

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昨日訪れた丸池様がここ鳥海山大物忌神社の社領と知り、急遽お参りに来ました。祭神は大物忌大神、月山神。鳥海山と月山の神様ですね。写真は拝殿です。

鳥海山大物忌神社の本宮は鳥海山山頂にあり、他同じ遊佐町内に鳥海山大物忌神社蕨岡口ノ宮があります。ここ吹浦口は鳥海山登山道の入り口でもあるようです。

丸池様 - 半農半医

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秋田から県境を越え、山形県遊佐町の丸池様です。湧き水だけの池だそうです。神秘的な光景で最近急に人気が出てきました(のでアテクシどもも便乗致しました)。

唐松神社 - 半農半医

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秋田県大仙市の唐松神社です。祭神は軻具突命(カグツチノミコト)息氣長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)豊宇氣姫命(トヨウケヒメノミコト)高皇靈命(タカミムスビノミコト)神皇靈命(カミムスビノミコト)。東北で唯一の物部氏の神社です。玉振神事の物部神社のことです。女一代守神として、千年以上前より広く信仰を集めています。神社や寺は普通高いところにつくるものですが、写真の社殿は下り宮と言って一段低いところにあります。

お許し頂いて拝殿の中を見せて頂くと、奉納された夥しい絵馬や鈴の緒が所狭しと飾られています。鈴生りとはこのことか、という3mはあろうかという鈴の緒が圧巻でした。

大湯環状列石 - 半農半医

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大湯環状列石は十和田の南南西、秋田県鹿角市にある縄文時代後期(約4,000年前)の遺構です。野中堂と万座と名付けられた二重の環状で構成される環状列石が主体です。

十和田神社 - 半農半医

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十和田湖畔、中山崎にある十和田神社です。写真は拝殿。祭神は日本武尊。しかし元々は水神信仰の社であったようで、明治の神仏分離までは十和田山青龍大権現が祀られていたそうです。

キリストの墓 - 半農半医

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青森県三戸郡新郷村にあるキリストの墓を訪ねました。戸来(へらい)という地名は今は字(あざ)として残っています。この地は古来偉い殿様の墓であるとして、沢口家が代々墓を祀ってきたのでした。

竹内宿禰の子孫の養子に入ったとされる竹内巨麿が、明治33年茨木に皇祖皇太神宮天津教を開きました。昭和10年この地を訪れた竹内巨麿は、「ここだ、ここだ」と言い、「十来塚」と名付けるよう村長に言い渡しました。竹内文書によれば、日本に渡ったイスキリス・クリスマスは後に十来太郎天空坊と呼ばれたそうです。

ここが微妙なんですが、竹内巨麿はイスキリス・クリスマスとか十来太郎天空坊と言っているけれど必ずしもキリストとは言っていない。これをキリストとして世に知らしめたのは昭和13年に「光は東方から」という本を出版した山根キクという人です。

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